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先日、友人らと訪れたタジキスタン南西部の名所の一つです。 写真でも分かるように、周囲は荒涼とした山や原野が広がっています。それほど大量ではありませんが、崖(写真手前)下の数カ所から、湧き水が出ており、すぐ下にちょっとした池ができあがっています。タジク語で「チル・チョール・チャシュマ」(「44の泉」の意)と呼ばれていますが、どう見ても44カ所からは水は湧き出ていないようです。「とにかくたくさんのところから水が出ている」という意味のようです。 ここはイスラーム(イスラム教)の聖地の一つで、病気の治癒などを祈願しに多くの人が訪れるようです。特徴的なのは、ここに生息する魚を取ってはいけないとのこと。タジク語で「シールモーヒー」と呼ばれる魚が池を埋め尽くすほどに泳いでいますが ...
まだタジキスタンに釘付けなので、これまでに休暇や経由で立ち寄った地域の情報を紹介します。 5月上旬、出張からタジキスタンに戻る際、トルコのイスタンブルを経由しました。そのときに訪れた場所から印象に残っているスポットを紹介します。 これは宿泊していたホテルの客室から撮った写真です。イスタンブルは歴史的建造物だらけですが、高校の世界史でしつこく学んだそういう建造物がいざ目の前にあるというのは何とも不思議な感覚です。過去の記憶と眼前の現実がうまく合致しないというか。 アヤソフィア自体は現在、博物館になっています。入館料は10トルコリラ(約1000円)。イスタンブルは見所が多いので、この入館料が結構かさみます。私も3日間通して1万円近く払いました。 建物内部は日中でも薄暗く、ひんや ...
イスタンブルのヨーロッパ側にあるガラタ塔の紹介です。 入場料は10トルコリラ(約1000円)。塔に登るだけなのに高いな、と思っていると、塔内部には二基のエレベーターが。いろいろサービスしているわけです。ですが、1500年以上の歴史のある塔にエレベーターを設置してしまうというのがさすが石造りの文化です。法隆寺の五重塔はこうは行かない。 塔の高さは61メートル。上部には一周できるテラスがあり、イスタンブルの町並み(主にヨーロッパ側)が見渡せます。訪れたときは天気もよく、心地よい風が吹いていて、想像以上でした。 写真中央に見えるのがガラタ橋、対岸に見えるのが歴史的建造物の数々。左からトプカプ宮殿、アヤソフィア、スルタンアフメト・ジャーミーです。 上部二層にはレストランもあります。ここ ...
アヤソフィアのすぐ横にある地下宮殿です。ローマ統治時代に造られた地下貯水池をして、そう呼んでいます。貯水池といっても、1辺が約100メートル、高さも10メートルほどあり、天井を支える柱にも飾りが施されており、「宮殿」のようです。内部はやはりひんやりとしていて、きれいに見えるようライトアップもされています。イスタンブルを訪れる前、何人もの人に「思ったより良いよ」と勧められていたのですが、その通りでした。 一部の柱の礎石にはメドゥーサの彫刻が用いられています。その容貌はぼんやりとライトアップされ、さらに凄みを増しているようです。 「土木技術の基礎はすべてローマ時代に確立された」という言葉もありますが、2000年近く前にこれだけの施設を地下に作ったのには驚かされます。その後、この ...
最後は軍事博物館です。 ここには多くの種類の武器が展示されているとのことですが、詳しいことは分かりません。私はここで演奏されるオスマン帝国の軍楽隊の生演奏がどうしても見たく、それだけのために訪れました。以前から興味があり、ガイドブックで知って行ってきました。 戦場で兵士の戦意高揚のために演奏され、それを見たヨーロッパの各国も倣って導入したという軍楽ですが、太鼓やラッパが力強い勇壮なものです。 入館料は3トルコリラ(約300円)。演奏は月、火曜日を除く午後3時から。演奏は博物館内のコンサートホール、日本からの団体旅行者とトルコの社会見学と思しき生徒で席は埋まりました。始めに英語で軍楽隊の歴史などの紹介がありました。 軍楽隊の登場が凝っていました。ステージ後ろの壁が緞帳のよ ...
ようやく、約100日ぶりにアフガニスタンに戻ってきました。ようやくです。 今回は銀行での資金引き出しといった雑務から、UNDP(国連開発計画)のスタッフに会うのが目的です。日程があまりに急すぎ、UNDPスタッフとはまだアポイントを取っていないのですが…タロカンに戻らないといけないので、一週間もいないでしょう。 ドゥシャンベはすでに酷暑になりかけてる一方、カブールはまるで初夏のようなさわやかな陽気です。やはり標高が高いだけあります。 今回はこれまで定宿にしていたホテルでなく、新規開拓(安くて質のいいホテル)を狙って、新築のホテルに来てみました。カブールでも筋の良い繁華街と言えばいいのでしょうか、「シャハリ・ナウ公園」近くです。一泊80ドルと言われたのですが、70ドルにディスカウントし ...
やはり、別のホテルに移りました。 朝9時前に昨晩泊まったホテルをチェックアウト。その足で、昨日一晩35ドルと言われたホテルに行ってみました。すると、昨日とは別の人が「35ドルはダブルルームを2人で利用した場合の1人あたりの値段(一部屋70ドル)、シングルルームは50ドル」。昨日のことを伝えると、結局35ドルでいいとのこと。 朝早くに着きすぎ、前日の宿泊客がチェックアウトしていないとのことで、別の部屋で待つことに。午後1時過ぎにようやく部屋に通されたのですが、今度はインターネットが使えない。ホテルのスタッフがあれこれ設定を変えてみるのですが、どうしても無理。私のパソコンの問題ではなく、ホテル側の設定がおかしいようなのですが、どうもスタッフが熟知していない様子。1時間近くやってもつな ...
今はカブールですが、しばらく前のタジキスタンの話をします。 昨年の私たちのNGOが手がけたタジキスタンの障害者支援にまつわる話です。収入が得にくく、働くのが難しい障害者に、継続して食料を提供できるようにと、互助組織に農機具を提供しました。その事業の終わりに、対象となった障害者に会ってきました。 彼は1990年代のタジキスタン内戦中、地元で地雷を踏み、片脚の膝下を失いました。幸い、彼は義足を手に入れました。ですが、それまで営んでいた農薬の販売では重い荷物も運ばねばならず、やはり義足では厳しかったとのこと。座り仕事で脚に負担のかからない靴の修理に転職、借金をして自宅近くに小さな工房を構え、最近ようやく軌道に乗ってきたそうです。 「地雷の被害に遭って落ち込むとかではなく、とも ...
タジキスタンにはタジク人だけが暮らしているわけではありません。長い歴史を経て、ウズベク人やキルギス人も住んでいます。こと、タジク人とウズベク人がそれぞれ「民族意識」を持つようになったのは、ソヴィエト連邦当時に外部によって定義づけられたからとも言えます。 話がそれましたが、ソヴィエト連邦当時、連邦内の各地からタジキスタンに移り住んできた人がいました。本人の意志によるものもあったでしょうし、政府に強制された人もいます。スターリン政権当時、極東の沿海州から中央アジアに強制的に移住させられた朝鮮人の子孫に私も何度か会ったことがあります。 私たちのNGOの事業で支援した人のうち、そういうソヴィエト連邦当時に移り住んできた人の話です。 この女性は自らをタタール人と名乗っていまし ...
タジキスタンの田舎で暮らしているロシア人女性です。 台所と居間兼寝室の二部屋だけのアパートで、もう1人のロシア人女性と2人で暮らしています。ソヴィエト連邦当時、多くのロシア人が住んでいたようですが、ソ連崩壊とその後の内戦でほとんど出でていってしまったとのこと。あえて現地に残ったのか、ロシアに身寄りがいなかったのか、それとも内戦が激しすぎて出られなかったのか。モスクワから来て、現地で看護師をしていたこの女性はいずれにせよ、ここに留まり続けました。 タジキスタンの農村での暮らしは厳しいですが、大家族と親戚が助け合って何とか暮らしています。身寄りのないこの女性は月1000円に満たない年金では足りず、市場に出かけ店から野菜などを恵んでもらって生活しているそうです。 部屋には若い ...
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